2012年4月6日

40

春ですね。
  春といえば、先日、あの~、私事ではありますが、めでたくと言いますか、全然めでたくもないのですが、え~、ま、何と言いますか、その~、とうとう40歳になりました!

  巷では、「30代でしておかねばならないなんちゃら」とか、「30代にやっておいてよかったなんたら」という本なんかも人気のようで、私も40歳になるにあたって、本屋さんでこのような本を手に取ってみて何かやり残したことがないかを確認してみようかとも思ったのですが、よく考えたら、40歳になってしまったので、30代にしておかなければならないことを確認しても、もはや手遅れなわけで、そうすると、読むとするなら、「40代でしておくべきうんぬんかんぬん」という本を読まなければいけないことになるのですが、まだ、40代になったばかりで、40代とは今後10年もおつき合いしなければならないことを思うと、そんなに急いでやらなければいけないことを確認する必要もないでしょう、ということで、結局、このような本を手に取る機会は、これからもしばらくはないのかもしれません。まあ、そんなこんなで、区切りなどというものにそれほど大した意味などないのではないかと思うのですが、何となく30代の最後、39歳の最後の日に何か?と考えた際に、この歳になるまでの過去を振り返って、これまでお世話になった方々に、言えなかった感謝の気持ちを改めて述べるのはいかがなものかと、39歳の最後の日なだけにサンキューというのは最高にしゃれているのではないかと、一人悦に入って考え、これまでお世話になった方々のことをひとりひとり思い浮かべながら、感謝の気持ちを新たにしつつ、この日(39歳の最後の日)を過ごしました。ま、直接に感謝の気持ちを伝えなければ意味はないのでしょうが。

  さて、40歳になったからといって何がどうということもないのですが、40歳になって困ったということを挙げるとすれば、それは、年齢を聞かれた際に「40です。」と言わなければいけないことで、それのどこが困るのかといえば、私の見た目が40歳に見えないのではないかという不安があるからなのです。というと、見た目が老けていて、もっとおっさんに見えるのかというと、そうではなくて、逆に若く見られるのではないかという心配があるのです。確かに、若く見られるのは必ずしも悪いことではないかもしれませんが、この仕事、やはり若いよりもある程度歳がいっている方が安心感があるというか信頼が持てるということがありますので、あまり若く見られると、「大丈夫か?」と心配されるというマイナス面もあろうかと思います。まして、落ち着きがなく、年齢に見合った内容が伴わないから若く見えるのではと思われては、私としても返す言葉がありません。
  私も今年で弁護士7年目。弁護士会の中では、もはや新人ではなく中堅といえる立場です。そこで、こうして40歳の報告をして、確かな経験と実績をさもしくもさりげなくアピールしたりするのですが、ここでこうして宣言することで、この一年で年齢に見合った落ち着きを身につけられたらという有言実行の思いもあります。
  ところで、私が昔読んだ本の中で、主人公が、年齢よりも見た目が若いことを指摘され(指摘した人は褒めるつもりでなく、少し揶揄するニュアンスで言ったのでしょう)、これに対して、その主人公が「人は、威張らなければ歳を取らないものです。」という意味のことを答える場面がありました。何の本で、どのような話であったのか、記憶が曖昧なのですが、このセリフだけが、妙に記憶に残っています。高校生ぐらいに読んだ本のはずですが、私は、その後ずっと忘れずに、この言葉を常に頭の片隅に置いていたように思います。今では、「先生」と呼ばれる立場になりましたが、だからといって、決して偉ぶったり、威張る必要はないと考えていますし、威張らなければ尊敬されたり、信頼されないのであれば、尊敬されたり、信頼されなくても結構とも考えています。ただ、そうは言っても、もう少し見た目が落ち着いて見えたらいいなあとも思いますので、偉ぶったり威張ったりしないで、年相応に見えるようにするにはどうしたらいいのでしょうかね?やはり、人間的な中身の充実でしょうか・・・?
  と、不惑にして惑うばかり。