2012年5月5日

ロックでない奴ぁ


 数年前、大阪にお正月休みで帰郷していた際、新年を迎え、2日か3日の昼ごろ、萩に戻るために両親と一緒に実家から新大阪まで車を運転していた時のことです、車のラジオから私が以前によく聞いていた大阪FM802の男性DJの声が流れてきました。懐かしい思いで、耳をそばだてました。新年初の登場らしく、これから番組が始まるようです。男性DJは、新年の挨拶のあとに、「新しい年を迎えて、新成人や、新入社員になる皆さん、あるいはこの番組をお聞きの皆さんの中にも、これから先、色々と人生の岐路に立たされ、迷うことがあるかもしれません。そのように人生の岐路に立たされ、迷った際、僕は、『ロックかロックでないか』を基準に決めたいと思います。ぜひ、皆さんも、ロックかロックでないか、迷われた際の判断のひとつにしてみてはいかがでしょうか。それでは、新年最初の曲はこの曲です。」と言って、それから怒髪天の『ロックでない奴ぁロクデナシ』がかかったのでした。
 まあ、なんというか、衝撃でした。
 曲が衝撃的だったのもありますが、新年一発目の曲にこの曲を持ってくるDJの心意気というか、その前振りのMCも考えると、「ロックでなくちゃあ・・・」と、これからまた両親と別れ一人萩に向かう新年に、自然と心が奮い立たされる思いだったのかもしれません。ちょうどその頃、以前の事務所を辞めて、一人で萩でこの萩・山口法律事務所を開設したころでした。何の縁故もない萩で独立して仕事をすることにはやはり躊躇も葛藤もありましたし、悩みました。東京の修習先の先生を頼ることや、大阪に戻ること、あるいは山口市内のお世話になった先生の援助を受けること等、色々な選択肢が頭を巡りました。けれど、一番最後に自分で決める際に決め手となったのは、「ロックかロックでないか」ではありませんが、自分に言い訳をすることのない道を選ぼう、ということでした。 そんな思いがまだ焚火の熾きのように私の心の中に残っていたからでしょうか、このDJの方の言葉と怒髪天の曲を聴いて、萩で独立するという自分の選択は決して間違っていなかったと、この日、胸が熱くなり、思いを新たにしたというのが、もうかれこれ3~4年前のことでしょうが、記憶に新しいです。

 それから、月日は流れ、先日、社会福祉士さんら数人の方と懇親会をした際のことです。
 これまで社会福祉士さんとは勉強会等で意見交換を行い、交流をすることはあったものの、飲み会などでは、あまり深く仕事の話や個人の仕事に対する熱い思いなどを聞く機会が少なかったのですが、この日は懇親会がメインということもあり、仕事を離れ、雑談から日々の仕事の悩みまで幅広く話をすることができました。そんな中で、個々の社会福祉士さんそれぞれの仕事に対する熱い思いや情熱も聞くことができて、とても興味深かったです。
 この日の懇親会も二次会に入り、私もかなりお酒がまわり、話題は真面目に後見制度について議論が移った際のこと、中でも一番のベテランの社会福祉士さんに対して、私が、「ある方にどうしても後見人が必要な場合なんだけれど、お金もないし、面倒くさい事案だし、誰も後見人の成り手がいない、というケースで、誰もやりたいって人がいないのだけれども、『私やります』って言ったらかっこよくないですか?」と話題を振ったのです。そうすると、そのベテランの社会福祉士さんは、「そう、かっこいいか、かっこよくないかはすごく大事なんだよ。」と、熱心に私の話に食いついてきてくださいました。この方も、後見制度や後見人の身上監護や財産管理のあり方について、確固たる理念を持って仕事をされている方ですが、基本は、自身が「かっいい」と思えるかどうかという、ぶれない芯を持って仕事されておられるんだなというのを感じました。
 この社会福祉士さんが、「かっこいいか、かっこよくないは大事なことだよ」という話をされた時、私は、数年前に聞いたあのラジオの言葉、「ロックかロックでないか」を思い出していました。

 実は、わたくし、ロックはあまり聞かず、おこがましくもロケンローラーとは言えませんが、今後も、何か人生の岐路に立たされ、迷った際には、「ロックかロックでないか」を判断基準にしていきたいと思います。そんな気持ちで、先般、成年後見を受任する法人「一般社団法人 萩長門成年後見センター」を立ち上げたのですが、それはまた別の話。


 ちなみに、怒髪天の歌詞は、以下のとおりです。

「胸を焦がすような熱い想い 全部捨てて暮らすのが マトモな人生か?
 (中略)
 手堅く平坦な道も 悪くはねぇんだが
 へたれにゃちょいとわからねえ 男のロマンだぜ
 ここが土壇場 正念場
 人生劇場 主役はおれだ!
 どちらにしようか迷ったら どっちがROCKだ? これで決めるぜ!」