2012年5月5日
ロックでない奴ぁ
数年前、大阪にお正月休みで帰郷していた際、新年を迎え、2日か3日の昼ごろ、萩に戻るために両親と一緒に実家から新大阪まで車を運転していた時のことです、車のラジオから私が以前によく聞いていた大阪FM802の男性DJの声が流れてきました。懐かしい思いで、耳をそばだてました。新年初の登場らしく、これから番組が始まるようです。男性DJは、新年の挨拶のあとに、「新しい年を迎えて、新成人や、新入社員になる皆さん、あるいはこの番組をお聞きの皆さんの中にも、これから先、色々と人生の岐路に立たされ、迷うことがあるかもしれません。そのように人生の岐路に立たされ、迷った際、僕は、『ロックかロックでないか』を基準に決めたいと思います。ぜひ、皆さんも、ロックかロックでないか、迷われた際の判断のひとつにしてみてはいかがでしょうか。それでは、新年最初の曲はこの曲です。」と言って、それから怒髪天の『ロックでない奴ぁロクデナシ』がかかったのでした。
まあ、なんというか、衝撃でした。
曲が衝撃的だったのもありますが、新年一発目の曲にこの曲を持ってくるDJの心意気というか、その前振りのMCも考えると、「ロックでなくちゃあ・・・」と、これからまた両親と別れ一人萩に向かう新年に、自然と心が奮い立たされる思いだったのかもしれません。ちょうどその頃、以前の事務所を辞めて、一人で萩でこの萩・山口法律事務所を開設したころでした。何の縁故もない萩で独立して仕事をすることにはやはり躊躇も葛藤もありましたし、悩みました。東京の修習先の先生を頼ることや、大阪に戻ること、あるいは山口市内のお世話になった先生の援助を受けること等、色々な選択肢が頭を巡りました。けれど、一番最後に自分で決める際に決め手となったのは、「ロックかロックでないか」ではありませんが、自分に言い訳をすることのない道を選ぼう、ということでした。 そんな思いがまだ焚火の熾きのように私の心の中に残っていたからでしょうか、このDJの方の言葉と怒髪天の曲を聴いて、萩で独立するという自分の選択は決して間違っていなかったと、この日、胸が熱くなり、思いを新たにしたというのが、もうかれこれ3~4年前のことでしょうが、記憶に新しいです。
それから、月日は流れ、先日、社会福祉士さんら数人の方と懇親会をした際のことです。
これまで社会福祉士さんとは勉強会等で意見交換を行い、交流をすることはあったものの、飲み会などでは、あまり深く仕事の話や個人の仕事に対する熱い思いなどを聞く機会が少なかったのですが、この日は懇親会がメインということもあり、仕事を離れ、雑談から日々の仕事の悩みまで幅広く話をすることができました。そんな中で、個々の社会福祉士さんそれぞれの仕事に対する熱い思いや情熱も聞くことができて、とても興味深かったです。
この日の懇親会も二次会に入り、私もかなりお酒がまわり、話題は真面目に後見制度について議論が移った際のこと、中でも一番のベテランの社会福祉士さんに対して、私が、「ある方にどうしても後見人が必要な場合なんだけれど、お金もないし、面倒くさい事案だし、誰も後見人の成り手がいない、というケースで、誰もやりたいって人がいないのだけれども、『私やります』って言ったらかっこよくないですか?」と話題を振ったのです。そうすると、そのベテランの社会福祉士さんは、「そう、かっこいいか、かっこよくないかはすごく大事なんだよ。」と、熱心に私の話に食いついてきてくださいました。この方も、後見制度や後見人の身上監護や財産管理のあり方について、確固たる理念を持って仕事をされている方ですが、基本は、自身が「かっいい」と思えるかどうかという、ぶれない芯を持って仕事されておられるんだなというのを感じました。
この社会福祉士さんが、「かっこいいか、かっこよくないは大事なことだよ」という話をされた時、私は、数年前に聞いたあのラジオの言葉、「ロックかロックでないか」を思い出していました。
実は、わたくし、ロックはあまり聞かず、おこがましくもロケンローラーとは言えませんが、今後も、何か人生の岐路に立たされ、迷った際には、「ロックかロックでないか」を判断基準にしていきたいと思います。そんな気持ちで、先般、成年後見を受任する法人「一般社団法人 萩長門成年後見センター」を立ち上げたのですが、それはまた別の話。
ちなみに、怒髪天の歌詞は、以下のとおりです。
「胸を焦がすような熱い想い 全部捨てて暮らすのが マトモな人生か?
(中略)
手堅く平坦な道も 悪くはねぇんだが
へたれにゃちょいとわからねえ 男のロマンだぜ
ここが土壇場 正念場
人生劇場 主役はおれだ!
どちらにしようか迷ったら どっちがROCKだ? これで決めるぜ!」
2012年4月6日
40
春ですね。
春といえば、先日、あの~、私事ではありますが、めでたくと言いますか、全然めでたくもないのですが、え~、ま、何と言いますか、その~、とうとう40歳になりました!
巷では、「30代でしておかねばならないなんちゃら」とか、「30代にやっておいてよかったなんたら」という本なんかも人気のようで、私も40歳になるにあたって、本屋さんでこのような本を手に取ってみて何かやり残したことがないかを確認してみようかとも思ったのですが、よく考えたら、40歳になってしまったので、30代にしておかなければならないことを確認しても、もはや手遅れなわけで、そうすると、読むとするなら、「40代でしておくべきうんぬんかんぬん」という本を読まなければいけないことになるのですが、まだ、40代になったばかりで、40代とは今後10年もおつき合いしなければならないことを思うと、そんなに急いでやらなければいけないことを確認する必要もないでしょう、ということで、結局、このような本を手に取る機会は、これからもしばらくはないのかもしれません。まあ、そんなこんなで、区切りなどというものにそれほど大した意味などないのではないかと思うのですが、何となく30代の最後、39歳の最後の日に何か?と考えた際に、この歳になるまでの過去を振り返って、これまでお世話になった方々に、言えなかった感謝の気持ちを改めて述べるのはいかがなものかと、39歳の最後の日なだけにサンキューというのは最高にしゃれているのではないかと、一人悦に入って考え、これまでお世話になった方々のことをひとりひとり思い浮かべながら、感謝の気持ちを新たにしつつ、この日(39歳の最後の日)を過ごしました。ま、直接に感謝の気持ちを伝えなければ意味はないのでしょうが。
さて、40歳になったからといって何がどうということもないのですが、40歳になって困ったということを挙げるとすれば、それは、年齢を聞かれた際に「40です。」と言わなければいけないことで、それのどこが困るのかといえば、私の見た目が40歳に見えないのではないかという不安があるからなのです。というと、見た目が老けていて、もっとおっさんに見えるのかというと、そうではなくて、逆に若く見られるのではないかという心配があるのです。確かに、若く見られるのは必ずしも悪いことではないかもしれませんが、この仕事、やはり若いよりもある程度歳がいっている方が安心感があるというか信頼が持てるということがありますので、あまり若く見られると、「大丈夫か?」と心配されるというマイナス面もあろうかと思います。まして、落ち着きがなく、年齢に見合った内容が伴わないから若く見えるのではと思われては、私としても返す言葉がありません。
私も今年で弁護士7年目。弁護士会の中では、もはや新人ではなく中堅といえる立場です。そこで、こうして40歳の報告をして、確かな経験と実績をさもしくもさりげなくアピールしたりするのですが、ここでこうして宣言することで、この一年で年齢に見合った落ち着きを身につけられたらという有言実行の思いもあります。
ところで、私が昔読んだ本の中で、主人公が、年齢よりも見た目が若いことを指摘され(指摘した人は褒めるつもりでなく、少し揶揄するニュアンスで言ったのでしょう)、これに対して、その主人公が「人は、威張らなければ歳を取らないものです。」という意味のことを答える場面がありました。何の本で、どのような話であったのか、記憶が曖昧なのですが、このセリフだけが、妙に記憶に残っています。高校生ぐらいに読んだ本のはずですが、私は、その後ずっと忘れずに、この言葉を常に頭の片隅に置いていたように思います。今では、「先生」と呼ばれる立場になりましたが、だからといって、決して偉ぶったり、威張る必要はないと考えていますし、威張らなければ尊敬されたり、信頼されないのであれば、尊敬されたり、信頼されなくても結構とも考えています。ただ、そうは言っても、もう少し見た目が落ち着いて見えたらいいなあとも思いますので、偉ぶったり威張ったりしないで、年相応に見えるようにするにはどうしたらいいのでしょうかね?やはり、人間的な中身の充実でしょうか・・・?
と、不惑にして惑うばかり。
春といえば、先日、あの~、私事ではありますが、めでたくと言いますか、全然めでたくもないのですが、え~、ま、何と言いますか、その~、とうとう40歳になりました!
巷では、「30代でしておかねばならないなんちゃら」とか、「30代にやっておいてよかったなんたら」という本なんかも人気のようで、私も40歳になるにあたって、本屋さんでこのような本を手に取ってみて何かやり残したことがないかを確認してみようかとも思ったのですが、よく考えたら、40歳になってしまったので、30代にしておかなければならないことを確認しても、もはや手遅れなわけで、そうすると、読むとするなら、「40代でしておくべきうんぬんかんぬん」という本を読まなければいけないことになるのですが、まだ、40代になったばかりで、40代とは今後10年もおつき合いしなければならないことを思うと、そんなに急いでやらなければいけないことを確認する必要もないでしょう、ということで、結局、このような本を手に取る機会は、これからもしばらくはないのかもしれません。まあ、そんなこんなで、区切りなどというものにそれほど大した意味などないのではないかと思うのですが、何となく30代の最後、39歳の最後の日に何か?と考えた際に、この歳になるまでの過去を振り返って、これまでお世話になった方々に、言えなかった感謝の気持ちを改めて述べるのはいかがなものかと、39歳の最後の日なだけにサンキューというのは最高にしゃれているのではないかと、一人悦に入って考え、これまでお世話になった方々のことをひとりひとり思い浮かべながら、感謝の気持ちを新たにしつつ、この日(39歳の最後の日)を過ごしました。ま、直接に感謝の気持ちを伝えなければ意味はないのでしょうが。
さて、40歳になったからといって何がどうということもないのですが、40歳になって困ったということを挙げるとすれば、それは、年齢を聞かれた際に「40です。」と言わなければいけないことで、それのどこが困るのかといえば、私の見た目が40歳に見えないのではないかという不安があるからなのです。というと、見た目が老けていて、もっとおっさんに見えるのかというと、そうではなくて、逆に若く見られるのではないかという心配があるのです。確かに、若く見られるのは必ずしも悪いことではないかもしれませんが、この仕事、やはり若いよりもある程度歳がいっている方が安心感があるというか信頼が持てるということがありますので、あまり若く見られると、「大丈夫か?」と心配されるというマイナス面もあろうかと思います。まして、落ち着きがなく、年齢に見合った内容が伴わないから若く見えるのではと思われては、私としても返す言葉がありません。
私も今年で弁護士7年目。弁護士会の中では、もはや新人ではなく中堅といえる立場です。そこで、こうして40歳の報告をして、確かな経験と実績をさもしくもさりげなくアピールしたりするのですが、ここでこうして宣言することで、この一年で年齢に見合った落ち着きを身につけられたらという有言実行の思いもあります。
ところで、私が昔読んだ本の中で、主人公が、年齢よりも見た目が若いことを指摘され(指摘した人は褒めるつもりでなく、少し揶揄するニュアンスで言ったのでしょう)、これに対して、その主人公が「人は、威張らなければ歳を取らないものです。」という意味のことを答える場面がありました。何の本で、どのような話であったのか、記憶が曖昧なのですが、このセリフだけが、妙に記憶に残っています。高校生ぐらいに読んだ本のはずですが、私は、その後ずっと忘れずに、この言葉を常に頭の片隅に置いていたように思います。今では、「先生」と呼ばれる立場になりましたが、だからといって、決して偉ぶったり、威張る必要はないと考えていますし、威張らなければ尊敬されたり、信頼されないのであれば、尊敬されたり、信頼されなくても結構とも考えています。ただ、そうは言っても、もう少し見た目が落ち着いて見えたらいいなあとも思いますので、偉ぶったり威張ったりしないで、年相応に見えるようにするにはどうしたらいいのでしょうかね?やはり、人間的な中身の充実でしょうか・・・?
と、不惑にして惑うばかり。
2012年2月1日
No Problem
ご挨拶が遅くなりましたが、新年もよろしくお願いします。
さて、そろそろ映画や音楽などの趣味の話でも書こうかと思っていたのですが、せっかくの新年最初の書き込みなので、今年の「意気込み」みたいなものも書かなければとも思いますので、両方をミックスした趣味と意気込みの話でもひとつ。
私がプロフィールでお気に入りの音楽として挙げている「Flight to Denmark」ですが、デューク・ジョーダンのこのジャズ・アルバムは、他に挙げている「ワルツ・フォー・デビー」や「サムシング・エルス」といった超メジャーなアルバムと比べると、ややマイナー感があるかと思われます。ですが、私は、このアルバムが大好きで、家で毎日かけていても全然飽きないほどなのです。「ワルツ・フォー・デビー」や「サムシング・エルス」も、何度聴いても「いいな~」と感じられる名作ですが、やはり時と場合を選んで掛けたくなる音楽で、家でご飯を食べながら毎日聴くというアルバムではないように感じるのものの、この「Flight to Denmark」は、不思議と飽きません。まあ、悪く言ってしまえば、カフェ・ミュージックのように聴きやすい、部屋で何かしながら聞くようなBGM的な音楽ということになるのかもしれませんが。
私がこのデューク・ジョーダンのアルバムを知ったのは、萩の私のお気に入りのカフェレストラン「ラ・セイバ」に置いてあったのを見つけたのがきっかけでした。ここのマスターは音楽好きで、私はよくお店に置いてあるCDを借りて帰るのですが、借りるCDは毎回はずれなく良いアルバムなのです。「Flight to Denmark」は、ジャケットが気に入って、直ぐに借りて帰ろうと決めました。ジャケットは、雪原で一人コートを着て佇むデューク・ジョーダン(だと思う男性)の写真で、凛とした中にどこか哀愁がただよう様子に心惹かれました。家に持ち帰って聞いたところ、やはり音楽も、哀愁漂うメロディーの中にピンと張りつめたものがあって、胸に響きました。アルバムの1曲目。最初に、ジャ~んとシンバルが鳴り響き、独特のイントロが。その後、チャンッ!と高音のピアノが叩かれ、もう一度、チャンッ!そして、印象的なピアノリズムが奏でられ曲が始まります。このメロディーが胸がぞわぞわするほど哀愁漂う感じでとてもいいです。その後の曲も、明るいアップテンポな曲で楽しくなるメロディーも多いのですが、どこか雪原で佇む一人の男性を思わせる美しくも哀しい感じを醸し出しています。
さて、趣味の話ばかりで全く「意気込み」の話が出てきませんが、これからです。
このアルバムを借りてから後に初めてラ・セイバに行った際のことです。私は、ラ・セイバのマスターの朗太さんに、このアルバムがとても良かったという話をしました。すると、朗太さんは、「僕がこのお店を作る前、このアルバムみたいなお店を作りたいなと考えながらよくこのCDを聞いていました。」という話をされ、私は、はっとしました。朗太さんの言葉の意味がすごく良く分かるような気がしたのです。
私は、この「Flight to Denmark」のCDを借りてから、何度も繰り返し聴き、何故、こんなに心惹かれ琴線に触れるメロディーなんだろうかと考えたのですが、それは、適度にキャッチーな、ある意味通俗的なメロディーなんだけれど、それを通俗に堕さない「何か」があるからじゃないだろうかとそんなことを漠然と考えていたのでした。その「何か」というのは、はっきりと言葉で表すことはできないのですが、この「Flight to Denmark」のデューク・ジョーダンにはそれがあるような気がしたのです。CDレヴューを読むと、「チャーリー・パーカーのもとで活躍したデュークも、1962年以降主だった活動もなく、タクシーの運転手をしたりしていた」ところ、「一定のジャズファンが存在し、人種差別も比較的少ないデンマーク」に渡り、1973年にアルバムを録音した。それが「Flight to Denmark」でした。音楽の世界を離れタクシードライバーをしていたデューク・ジョーダンに一体何があったのかは知らないけれど、デューク・ジョーダンはデンマークに飛び、そしてこの美しい(と言ってしまっていいでしょう)アルバムを作った。人生分からないものです。
ラ・セイバのマスターである朗太さんも、数年前に関東の方から萩に来られ、ラ・セイバを作られました。萩の地元の人々だけでなく遠くから来られる観光客にも愛される素敵なお店です。皆に愛される、気取らない、親しみやすい、「通俗的な」、「キャッチ―な」お店ですが、凛とした「何か」がラ・セイバにも(そして、朗太さんにも)あります。そんなところが、私がラ・セイバに惹かれる理由だと思います(言い忘れましたが、朗太さんの作る料理は掛け値なしに美味しいです!)。
さて、ここまで来れば、もうお分かりかと思いますが、私の「意気込み」です。
私も、朗太さんの言葉を聞いて思ったのです。「Flight to Denmark」のような事務所を作れたらいいなと。気取らない、親しみ深い、明るく暖かい雰囲気の中にあって、それと矛盾することなく、雪原に凛とたたずむ一人の男性のイメージ・・・。
と、言われても、全くイメージが沸かないと思いますので、百聞は一見(聴)に如かず。
お待たせしました、アルバム「Flight to Denmark」から No Problem です。
http://www.youtube.com/watch?v=HDzaINwBpA0&feature=related
さて、そろそろ映画や音楽などの趣味の話でも書こうかと思っていたのですが、せっかくの新年最初の書き込みなので、今年の「意気込み」みたいなものも書かなければとも思いますので、両方をミックスした趣味と意気込みの話でもひとつ。
私がプロフィールでお気に入りの音楽として挙げている「Flight to Denmark」ですが、デューク・ジョーダンのこのジャズ・アルバムは、他に挙げている「ワルツ・フォー・デビー」や「サムシング・エルス」といった超メジャーなアルバムと比べると、ややマイナー感があるかと思われます。ですが、私は、このアルバムが大好きで、家で毎日かけていても全然飽きないほどなのです。「ワルツ・フォー・デビー」や「サムシング・エルス」も、何度聴いても「いいな~」と感じられる名作ですが、やはり時と場合を選んで掛けたくなる音楽で、家でご飯を食べながら毎日聴くというアルバムではないように感じるのものの、この「Flight to Denmark」は、不思議と飽きません。まあ、悪く言ってしまえば、カフェ・ミュージックのように聴きやすい、部屋で何かしながら聞くようなBGM的な音楽ということになるのかもしれませんが。
私がこのデューク・ジョーダンのアルバムを知ったのは、萩の私のお気に入りのカフェレストラン「ラ・セイバ」に置いてあったのを見つけたのがきっかけでした。ここのマスターは音楽好きで、私はよくお店に置いてあるCDを借りて帰るのですが、借りるCDは毎回はずれなく良いアルバムなのです。「Flight to Denmark」は、ジャケットが気に入って、直ぐに借りて帰ろうと決めました。ジャケットは、雪原で一人コートを着て佇むデューク・ジョーダン(だと思う男性)の写真で、凛とした中にどこか哀愁がただよう様子に心惹かれました。家に持ち帰って聞いたところ、やはり音楽も、哀愁漂うメロディーの中にピンと張りつめたものがあって、胸に響きました。アルバムの1曲目。最初に、ジャ~んとシンバルが鳴り響き、独特のイントロが。その後、チャンッ!と高音のピアノが叩かれ、もう一度、チャンッ!そして、印象的なピアノリズムが奏でられ曲が始まります。このメロディーが胸がぞわぞわするほど哀愁漂う感じでとてもいいです。その後の曲も、明るいアップテンポな曲で楽しくなるメロディーも多いのですが、どこか雪原で佇む一人の男性を思わせる美しくも哀しい感じを醸し出しています。
さて、趣味の話ばかりで全く「意気込み」の話が出てきませんが、これからです。
このアルバムを借りてから後に初めてラ・セイバに行った際のことです。私は、ラ・セイバのマスターの朗太さんに、このアルバムがとても良かったという話をしました。すると、朗太さんは、「僕がこのお店を作る前、このアルバムみたいなお店を作りたいなと考えながらよくこのCDを聞いていました。」という話をされ、私は、はっとしました。朗太さんの言葉の意味がすごく良く分かるような気がしたのです。
私は、この「Flight to Denmark」のCDを借りてから、何度も繰り返し聴き、何故、こんなに心惹かれ琴線に触れるメロディーなんだろうかと考えたのですが、それは、適度にキャッチーな、ある意味通俗的なメロディーなんだけれど、それを通俗に堕さない「何か」があるからじゃないだろうかとそんなことを漠然と考えていたのでした。その「何か」というのは、はっきりと言葉で表すことはできないのですが、この「Flight to Denmark」のデューク・ジョーダンにはそれがあるような気がしたのです。CDレヴューを読むと、「チャーリー・パーカーのもとで活躍したデュークも、1962年以降主だった活動もなく、タクシーの運転手をしたりしていた」ところ、「一定のジャズファンが存在し、人種差別も比較的少ないデンマーク」に渡り、1973年にアルバムを録音した。それが「Flight to Denmark」でした。音楽の世界を離れタクシードライバーをしていたデューク・ジョーダンに一体何があったのかは知らないけれど、デューク・ジョーダンはデンマークに飛び、そしてこの美しい(と言ってしまっていいでしょう)アルバムを作った。人生分からないものです。
ラ・セイバのマスターである朗太さんも、数年前に関東の方から萩に来られ、ラ・セイバを作られました。萩の地元の人々だけでなく遠くから来られる観光客にも愛される素敵なお店です。皆に愛される、気取らない、親しみやすい、「通俗的な」、「キャッチ―な」お店ですが、凛とした「何か」がラ・セイバにも(そして、朗太さんにも)あります。そんなところが、私がラ・セイバに惹かれる理由だと思います(言い忘れましたが、朗太さんの作る料理は掛け値なしに美味しいです!)。
さて、ここまで来れば、もうお分かりかと思いますが、私の「意気込み」です。
私も、朗太さんの言葉を聞いて思ったのです。「Flight to Denmark」のような事務所を作れたらいいなと。気取らない、親しみ深い、明るく暖かい雰囲気の中にあって、それと矛盾することなく、雪原に凛とたたずむ一人の男性のイメージ・・・。
と、言われても、全くイメージが沸かないと思いますので、百聞は一見(聴)に如かず。
お待たせしました、アルバム「Flight to Denmark」から No Problem です。
http://www.youtube.com/watch?v=HDzaINwBpA0&feature=related
2011年10月4日
ご専門は?
この仕事をしていて、よく聞かれるのが、「先生のご専門は何ですか?」という質問です。
先月から、iタウンページに萩・山口法律事務所の情報が載るようになったのですが、ここでも「主な取扱い業務」のようなものを書かなくてはいけませんでした。業務内容に何を入れて何を入れないかは迷う所ですが、iタウンページに載せる情報の内容はどうしても定型的なものにならざるを得ず、とりあえず扱う分野のお仕事を網羅的に全て載せておくという感じになっています。
で、実際のところ、何が専門とか得意分野ですかと聞かれると・・・、何とお答えすべきか迷った末にですが、「何でもやります。」とお答えすることにしています。というのも、私が萩に来て弁護士を始めてこの9月でちょうど丸6年になりましたが、6年前には、萩に弁護士事務所が一つしかなく、相談に来られた方の相談はどのような内容でもそれなりに回答できなければなりませんでしたし、実際に依頼を受ける段になった場合は、どのような事件でもその方が法的な問題で困って弁護士を必要とされている以上、ご依頼を断るということは考えられず、事件を受けて対処してきたつもりです。離婚はやりません、労働事件は扱っていません、医療訴訟はできません等と言っている場合ではなく、「何でもやります。」と何でもやれなければいけないという状況だったのです(もちろん、自分一人では困難だと判断した事件の場合は、他の先生のご協力を仰ぐこともありました。)。
このような状況は、弁護士の数が少ない地域で仕事をされている弁護士さんはどこも同じような事情のはずで、特に「専門」を標榜される弁護士さんは、東京・大阪等の大都市で働く弁護士さんだけではないでしょうか。
このように何でもやらなければいけないし、何でもできなければいけない、というのが実情なのですが、それでも、特に相談の多い分野の事件とほとんど相談のない分野の事件というのも確かにあるわけで、そうすると自ずと得意・不得意のようなものが出来てくるということもあります。私の例で言いますと、借金の問題や遺産相続の問題、離婚、土地の境界問題等の相談が多かったように感じます。反対に少ない相談としては、企業絡みの相談、未払い賃金の請求等の労働問題等の相談が少なかったように思います。そうはいっても、このように単純にある「分野」に簡単に分類できないような相談がたくさんあるわけで、それこそ一つ一つの相談は全く同じものがなく、それぞれが個性的な唯一無二な相談なわけですから、相談される方も一生に一度の大問題を私の法律事務所に相談に来られ、相談を受ける私の方もこの唯一無二の問題を、これまでの過去の例に照らしながら、過去の例とどこが同じでどこが違うのか等と考えながら自分の経験と知識を総動員して相談に乗るということになります。過去の経験が活かされるのは、何も似たような種類の事件ばかりとは限りません。以前に私が依頼を受けた債務整理の事件での経験が、新しく相談を受けている相続関係の問題で役に立つこともあります。「人」と「人」との仕事ですから、弁護士の仕事に「定型」というものはなく、全ての事件が私にとっても初めて経験する新しい事件なのです。
そう考えてみると、得意分野も不得意分野もないのではないかと思われて、「先生のご専門は何ですか?」という質問に対しては、これからも変わらず、「何でもやります。」とお答えすることになるのでしょう・・・。
先月から、iタウンページに萩・山口法律事務所の情報が載るようになったのですが、ここでも「主な取扱い業務」のようなものを書かなくてはいけませんでした。業務内容に何を入れて何を入れないかは迷う所ですが、iタウンページに載せる情報の内容はどうしても定型的なものにならざるを得ず、とりあえず扱う分野のお仕事を網羅的に全て載せておくという感じになっています。
で、実際のところ、何が専門とか得意分野ですかと聞かれると・・・、何とお答えすべきか迷った末にですが、「何でもやります。」とお答えすることにしています。というのも、私が萩に来て弁護士を始めてこの9月でちょうど丸6年になりましたが、6年前には、萩に弁護士事務所が一つしかなく、相談に来られた方の相談はどのような内容でもそれなりに回答できなければなりませんでしたし、実際に依頼を受ける段になった場合は、どのような事件でもその方が法的な問題で困って弁護士を必要とされている以上、ご依頼を断るということは考えられず、事件を受けて対処してきたつもりです。離婚はやりません、労働事件は扱っていません、医療訴訟はできません等と言っている場合ではなく、「何でもやります。」と何でもやれなければいけないという状況だったのです(もちろん、自分一人では困難だと判断した事件の場合は、他の先生のご協力を仰ぐこともありました。)。
このような状況は、弁護士の数が少ない地域で仕事をされている弁護士さんはどこも同じような事情のはずで、特に「専門」を標榜される弁護士さんは、東京・大阪等の大都市で働く弁護士さんだけではないでしょうか。
このように何でもやらなければいけないし、何でもできなければいけない、というのが実情なのですが、それでも、特に相談の多い分野の事件とほとんど相談のない分野の事件というのも確かにあるわけで、そうすると自ずと得意・不得意のようなものが出来てくるということもあります。私の例で言いますと、借金の問題や遺産相続の問題、離婚、土地の境界問題等の相談が多かったように感じます。反対に少ない相談としては、企業絡みの相談、未払い賃金の請求等の労働問題等の相談が少なかったように思います。そうはいっても、このように単純にある「分野」に簡単に分類できないような相談がたくさんあるわけで、それこそ一つ一つの相談は全く同じものがなく、それぞれが個性的な唯一無二な相談なわけですから、相談される方も一生に一度の大問題を私の法律事務所に相談に来られ、相談を受ける私の方もこの唯一無二の問題を、これまでの過去の例に照らしながら、過去の例とどこが同じでどこが違うのか等と考えながら自分の経験と知識を総動員して相談に乗るということになります。過去の経験が活かされるのは、何も似たような種類の事件ばかりとは限りません。以前に私が依頼を受けた債務整理の事件での経験が、新しく相談を受けている相続関係の問題で役に立つこともあります。「人」と「人」との仕事ですから、弁護士の仕事に「定型」というものはなく、全ての事件が私にとっても初めて経験する新しい事件なのです。
そう考えてみると、得意分野も不得意分野もないのではないかと思われて、「先生のご専門は何ですか?」という質問に対しては、これからも変わらず、「何でもやります。」とお答えすることになるのでしょう・・・。
2011年7月10日
猫となんとかと法律事務所
さて、このブログですが、2009年5月にとりあえず形式だけでも作っておこうかと思い立って作成したものの、その後、ずっと更新することなく放置していました。多分、誰も見ていないだろうし、存在すら知られることなく、電子の網のどこか奥深くにひっそりと捨て置かれているのであろうと、今の今までそう思っていました。
ところが。
先日、NTT関連の会社の方からお電話があり、「インターネットの電話帳に電話番号と簡単なホームページのようなものを載せませんか。」という勧誘を受けました。「うちはホームページも作ってませんし、電話番号だけであれば既にお願いしているところがあるので・・・。」とお断りしようと思いましたが、「東大阪ご出身だそうですね。萩でも長く弁護士をされて、今では地域でのご信頼もあろうかと思いますが。」と妙に私のことを知っている様子。おかしいなと思いながら、いろいろとお話を聞いていると、どうも、このブログを見て電話を掛けてきたということのようでした。それで、さすが勧誘のためにいろんなところをチェックされているのだなあ・・・と感心はしたものの、とは言え、この時点では、それほどこのブログの存在のことは気にしていませんでした。探そうと思わなければ見つからないような存在であろうと。(ちなみに、後日、このNTT関連の会社から送られてきたご案内には、ご丁寧に東大阪の弁護士事務所さんの掲載例がご紹介されていました。)
そして、本日、以前の事務所のボスから電話が掛かって来ました。電話の内容は、ごくごくプライベートな用事だったのですが、その電話の最後に、「ところで山口君、君のインターネットのページを見たんだが、猫となんとかと法律事務所というの、あれは何だね?」と、突然、尋ねられました。私は、「あれは私の知り合いの弁護士のブログでして。」とお答えすると、「ああ、そうか。」と安心した様子で電話を切られました。
その後、何となく気になって、遠い昔に作った自分のブログ(このブログ)を見直し、リンクに貼っている友人の弁護士のブログをクリックして改めてその内容を読んでみたのですが・・・。こ、これでは、誰がこのブログを書いているか分からないではないですか!もちろん、注意して読めば、札幌在住の弁護士の猫ブログだということは分かるようにはなっているものの、あまりネットに詳しくない人がさらっと読むと、私の個人的なブログと勘違いする人もいそうですし、実際、元ボスはどうやらそのように勘違いしたのでは?!ちょうど最後のページも内容が内容であっただけに、そりやぁ、一体、何があったのかと心配することでしょう・・・。
というわけで、私は、ようやく次の2つの事実に気付きました。①意外とこの事務所のブログを見ている人がいること(というか、「萩・山口法律事務所」ないし「弁護士 山口正之」で検索すると、この事務所ブログにヒットする確率が高いこと)、②リンク先の某ブログを私の個人的なブログと勘違いされている方が一定の割合でおられるであろう、ということです。
そこで、このように慌てて、2年ぶりのブログへの書き込みを行っております。
前置きが長くなりましたが、これからが本題です。
このような更新のないブログをご覧いただいた皆さま、本当にありがとうございます。これまで何も更新をしておらず、申し訳ありませんでした。今後は、少しずつでも有益な情報と必ずしも有益でないかもしれませんが私の日々の雑感などを書き込んで行けたらと思いますので、今後とも、萩・山口法律事務所をよろしくお願いします。(これを機会にレイアウトも一新しました。)なお、リンク先のブログは私のブログではありませんので、くれぐれもお間違いのないようお願いいたします。
以上、おわびと(誤解の)訂正?でした。
追伸:「猫となんとか」のブログは「青山さん」に引き継がれましたので、リンクも変更しました。
ところが。
先日、NTT関連の会社の方からお電話があり、「インターネットの電話帳に電話番号と簡単なホームページのようなものを載せませんか。」という勧誘を受けました。「うちはホームページも作ってませんし、電話番号だけであれば既にお願いしているところがあるので・・・。」とお断りしようと思いましたが、「東大阪ご出身だそうですね。萩でも長く弁護士をされて、今では地域でのご信頼もあろうかと思いますが。」と妙に私のことを知っている様子。おかしいなと思いながら、いろいろとお話を聞いていると、どうも、このブログを見て電話を掛けてきたということのようでした。それで、さすが勧誘のためにいろんなところをチェックされているのだなあ・・・と感心はしたものの、とは言え、この時点では、それほどこのブログの存在のことは気にしていませんでした。探そうと思わなければ見つからないような存在であろうと。(ちなみに、後日、このNTT関連の会社から送られてきたご案内には、ご丁寧に東大阪の弁護士事務所さんの掲載例がご紹介されていました。)
そして、本日、以前の事務所のボスから電話が掛かって来ました。電話の内容は、ごくごくプライベートな用事だったのですが、その電話の最後に、「ところで山口君、君のインターネットのページを見たんだが、猫となんとかと法律事務所というの、あれは何だね?」と、突然、尋ねられました。私は、「あれは私の知り合いの弁護士のブログでして。」とお答えすると、「ああ、そうか。」と安心した様子で電話を切られました。
その後、何となく気になって、遠い昔に作った自分のブログ(このブログ)を見直し、リンクに貼っている友人の弁護士のブログをクリックして改めてその内容を読んでみたのですが・・・。こ、これでは、誰がこのブログを書いているか分からないではないですか!もちろん、注意して読めば、札幌在住の弁護士の猫ブログだということは分かるようにはなっているものの、あまりネットに詳しくない人がさらっと読むと、私の個人的なブログと勘違いする人もいそうですし、実際、元ボスはどうやらそのように勘違いしたのでは?!ちょうど最後のページも内容が内容であっただけに、そりやぁ、一体、何があったのかと心配することでしょう・・・。
というわけで、私は、ようやく次の2つの事実に気付きました。①意外とこの事務所のブログを見ている人がいること(というか、「萩・山口法律事務所」ないし「弁護士 山口正之」で検索すると、この事務所ブログにヒットする確率が高いこと)、②リンク先の某ブログを私の個人的なブログと勘違いされている方が一定の割合でおられるであろう、ということです。
そこで、このように慌てて、2年ぶりのブログへの書き込みを行っております。
前置きが長くなりましたが、これからが本題です。
このような更新のないブログをご覧いただいた皆さま、本当にありがとうございます。これまで何も更新をしておらず、申し訳ありませんでした。今後は、少しずつでも有益な情報と必ずしも有益でないかもしれませんが私の日々の雑感などを書き込んで行けたらと思いますので、今後とも、萩・山口法律事務所をよろしくお願いします。(これを機会にレイアウトも一新しました。)なお、リンク先のブログは私のブログではありませんので、くれぐれもお間違いのないようお願いいたします。
以上、おわびと(誤解の)訂正?でした。
追伸:「猫となんとか」のブログは「青山さん」に引き継がれましたので、リンクも変更しました。
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